~吉村大阪府知事の評価~
「あいちトリエンナーレ」の中止をめぐり、外野の大阪府知事吉村洋文が主催者の愛知県知事・大村秀章氏にけんかを売ってしまいました。
吉村洋文大阪府知事と言えば、今年の大阪府知事&大阪市長の入れ替え選挙でみごと大阪市長から大阪府知事になった人物です。イケメンという評判どおりの人気ででしたが、これまで「立派」と思わせたり、「言い過ぎだよ」と思わせたり吉村知事の発言にはマスコミも注目しているところです。
吉村知事が大阪市長のときに、サンフランシスコ市が韓国の市民団体の意向をくみ慰安婦像を設置したことで、61年間続いた同市との姉妹都市提携を解消したことが印象に残っています。その慰安婦像には、
この記念碑は、1913年から1945年まで日本軍によって性奴隷にされ、「慰安婦」と呼ばれたアジア太平洋地域13カ国にわたった何十万人の女性と少女の苦しみを表しています
と記されていたのです。吉村市長は、「国際社会に誤ったメッセージを発信する」として、サンフランシスコ市との関係を解消したのですが、この時には「若いのに大したものだ」と思いました。
~吉村知事の言いすぎ発言~
吉村氏が大阪府知事になって間もなくのこと、
勤務時間中に職員が喫煙した場合、地方公務員法上の懲戒処分(職務専念義務違反)とすることを決め、全職員に通達した
との報道ががありました。この時には「こいつはバカか!」と思いました。タバコがよっぽど嫌いなんだと思いますが、嫌いだからといってこれはぎやりすぎでしょう。今でも喫煙者は一定数以上いますし、健康増進法では屋外に喫煙場所を設けることを否定していません。職員が休憩時に喫煙することをなぜそこまで毛嫌いするのか分かりません。
「私はタバコを吸いません。タバコが嫌いです。」という方が多くいるのは分かりますが、自分が嫌いなことややらないことだからといって敵視するような施策は部下をもつ幹部としてはやってはいけないことです。10分ごとの「喫煙休暇の取得」によって、喫煙者の権利も守ることを考えるべきなのではないでしょうか。
それを「懲戒処分」とはバカげた発言でした。懲戒処分を受けた職員が処分無効を訴えて提訴したら確実に大阪府は負けます。そんなことも分からないのかと思います。こんなことで職務専念義務違反として懲戒処分になるのであれば、職務中に私用の電話する人や、お菓子を食べたり、私用の会話をしたりする人も全て懲戒処分の対象になる可能性もあるのです。
そんなバカな施策はありません。このニュースを見たときに「吉村はまだまだだなー」と感じました。
~外野の吉村知事が言い過ぎ!~
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由・その後」の慰安婦像や昭和天皇の写真が燃えているように見える映像などで物議を醸し、河村たかし名古屋市長が展示中止を求めたことで中止となりました。
その後大村愛知県知事が
税金でやるからこそ公権力でやるからこそ、表現の自由は保障されなければならない。河村さんの一連の発言は、憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか
と河村市長を批判し、これに対して河村市長は
表現の自由というのは憲法21条にあるが、絶対的に何をやってもいいという自由ではない
と反論し、2人の戦いが勃発しました。
そこへ完全に第三者の吉村府知事が割って入ったのです。8月7日の記者会見で、
こんなの辞職相当だと思います。
愛知県が主催者の事業ですから、愛知県がこの表現行為をしているととられても仕方ない。これは知事として不適格じゃないかと思います。
と発言したのです。
確かに河村市長の言うとおり、表現の自由も公共の福祉に制約されることは当然であり、人を不快にされる表現が全て許されるものではないことも当然です。もし何でもかんでも表現の自由が許されるのであれば、ヘイトスピーチなども自由に行われて人間関係は破綻してしまいます。
愛知県知事は事前にどんな作品が出展されるのかを確認して、作品である慰安婦像などを見たときにこれを展示することでどんな反応があるのか、どんな批判があるのかについて検討し、これを展示すべきかどうかを考える必要性は絶対にあったのです。
これを「検閲」という人がいますが、「検閲」とは違います。「検閲」は公権力による判断で一方的に削除することをいいますから、「これはまずいだろう」、「これはいいだろう」と話し合うことは検閲ではありません。話し合うことが「検閲」というのであれば、全ての催し物において主催者の意に反した出品や出展が自由にされることになります。それではどんな催し物も成り立たなくなるのです
それでも「検閲禁止」という主張をする人は「検閲」の意味をはき違えているというしかありません。
~芸術とは何か?~
愛知トリエンナーレが中心においこまれたことで、「芸術の冒涜だ」と抗議しててる人がいますが、この慰安婦像や昭和天皇の写真を焼く映像が芸術などと言う人がいるならばそれこそ「芸術の冒涜」です。こんなものを芸術というのであれば、人工的に作成されたものは全て芸術と言うことになってしまいます。
~吉村知事は若すぎる!~
そんなことよりも、吉村知事の発言に対して大村知事は、
はっきり言って哀れだ
憲法21条の表現の自由についてまったく理解していないのではないか。公権力を持っている人がこの内容はよくて、この内容はだめだとずっと言っている。(吉村知事が常任役員を務めている)日本維新の会は表現の自由はどうでもいいと思っているのではないか
と反論しました。誰が聞いても大村知事の反論は反論になってないし、吉村知事や河村市長の言うことの方が正当であると思います。しかし、公的な場で第三者である吉村市長が首を突っ込み当事者の愛知県知事を侮辱する必要はなかったのではないかと思います。今後もこの2人の戦いは続くのだろうと思いますがどうなっていくのか見ものです。
やはり「辞職相当」という言葉は明らかに言い過ぎです。辞職相当かどうかは愛知県民が判断すべきことですし、次期選挙でその結論が出るはずです。「吉村知事はまだまだ若すぎる」というのが私の思いです。