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東須磨小学校の加害教員の謝罪文?!性行為を強要!苦情電話が殺到!

~謝罪文をそのまま読み上げた!~

東須磨小学校の教員間イジメ&トラブルが報道されて10日以上が経過して、初めてイジメ&やパワハラをやっていた加害教員らの動きがありました。16日に開かれた保護者説明会で加害教員4人の謝罪コメントが読み上げられました。

ボス格の40代女性教員と30代男性教員3人の謝罪文を読みました。ネット上では「内容がおかしい」「ひどい!」「反省していない」「文章が稚拙」などの批判の声が上がっています。そんな中、同僚教員に性行為まで強要していたという報道もありましたが信じられません。

確かにボス格40代女性の謝罪文はひどいと思いました。これをそのまま読み上げれば批判が出ることは教員ならば予想できるはずです。それをそのまま読み上げた学校側には「全く反省がないのか?」と思いました。教員を指導する立場にある仁王美貴校長や教頭先生、教育委員会は一体何を考えているのかと思います。せめて、謝罪文を読んで訂正を求めるべきだったと思います。

~これが問題の謝罪文!~

その謝罪文がこちらです。

子供たちに対しては、こんな形になって申し訳ないです。子どもたちを精いっぱい愛してきたつもりですが、他の職員を傷つけることになり、子どもたちの前に出られなくなり、申し訳ありません。

私の行動で、迷惑をかけてしまったことに対して、本当に申し訳ないと思っています。被害教員に対しては、ただ申し訳ないということしかありません。

被害教員のご家族に画像を見せられ、入院までしている事実と、苦しんでいる事実を知りました。本当にそれまでは、被害教員には自分の思いがあって接していたつもりです。

自分の行動が間違っていることに気付かず、彼が苦しんでいる姿を見ることは、かわいがってきただけに本当につらいです。どうなっているのかとずっと思っています。

~自己弁護!謝罪意識なし!~

まず、最初に謝罪すべきは子供ではなく、被害教員及びその家族でしょう。それを最初に子供たちへの謝罪を持ってくると言うこと自体、被害者への謝罪意識が無いことが分かると思いますし、「私は子供たちのために頑張ってきた」ってことをアピールしているのだと思いました。被害者への謝罪の後に子供たちへの謝罪となるのが本来だと思います。被害者への謝罪意識が薄いことはその後の文章でも分かります。

「被害教員には自分の思いがあって接してきたつもりです」という言葉は自己弁護です。どういう意味なのでしょう?弱い人間だから強くなってもらいたいと思って試練を与えたとかこの先生は鍛えれば立派な先生になれるなどと考えてイジメて鍛えてきたということなのでしょうか?よく分からない自己弁護です。

「かわいがってきただけに本当につらい」ってどういうことなのでしょうか?ネット上ではこの言葉が”上から目線”と言う人もいますが、教員として大先輩ですから上から目線でも構わない思います。本当にかわいがっていたのであれば被害教員自身が”可愛がられている”と感じたはずですからこのような問題にはならなかったはずです。しかし、被害教員のコメントを読んでもそのような内容にはなっていません。

この教員が言う可愛がりは”イジる”イジってやった”ということを意味しているのかもしれません。ボス教員は”イジる”ことによってかわいがったと思っていた。その”イジり”が行き過ぎてイジメやパワハラに発展していったということなのかもしれません。

極めつけは「どうなっているのかとずっと思っています」この”どうなっているのか”という言葉は何を指しているのでしょうか?私は恨まれるようなことはしていないのに自分が悪者になっていることについて社会はどうなっているのかということなのか?それともイジメてもないのにいじめられたと言っている被害教員を疑問に思っているのか?全く分かりません。

ただ分かることは、”自己弁護”の一つとしてこの言葉を付け加えたということでしょう。

~表に出てきて頭を下げるべき!~

誰一人として、保護者会に出席して父兄に顔を向けて謝罪した加害教員が誰もいないということに驚きです。本当に反省しているのであれば、どんなに罵声を浴びせられようとも保護者会に出席して頭を下げて謝罪するべきではなかったのかと思います。

被害者は被害届を提出していますから、イジメ&パワハラ行為が刑事処分として罰せられるはずです。そして懲戒免職となるのでしょう。そうなればこの加害教員たちは一度も表に出て頭を下げることはないのです。この保護者会では報道も入れなかったでしょうし、頭を下げるチャンスはこの時しかなったことは誰にでも分かるはずです。学校と教育委員会は何を考えてこの問題に対応しているのかと思います。

そもそも教職員というのは、社会と閉ざされた空間で子供たちに教育をする業務であり、教員になってからは個人個人が社会性を育むことは難しいのだと思います。そういった方たちが出世して教頭になり校長になる。また教育委員会に異動するということで、組織内部だけを中心に物事を考え対処していくといった社会性の無い組織だということです。

~児童を傷つけた報道!~

東須磨小学校の児童たちがどれだけ傷ついてるのかということを社会は考えるべきです。実際に4人の児童が登校できていないとういう報道もあります。これは誰の責任なのでしょうか?父兄が子供に先生の悪行を話すことはあるでしょうが、最も酷いのは、自分の担任先生がイジメられている姿がニュースやワイドショーでさんざん流されているという事実です。

当然、東須磨小学校の児童らもこの動画を目にするわけです。これが児童たちに与える影響はどうなのでしょうか?自分に色々なことを教えてくれている先生、優しい先生、好きな先生が他の先生たちから激辛カレーを食べさせられて逃げ回る様子が放送されているのです。そんな動画を子供たちが簡単に目にするテレビで放送する必要があるのでしょうか?ネットだけで十分だと思います。

視聴率以外には何も考えずに「この動画は面白い」と言うことだけで放送する。そのことが、その先生たちを知る児童にどのような影響を与えるのか考えれば分かることでしょう。”テレビの罪は重たい!”と感じます。大した問題ではない”ヤラセ”などに突っ込みを入れるのではなく、こういった放送こそBPOが動くべき事案だと思います。

また、東須磨小学校の学校運営にも支障が出るほどに苦情の電話が殺到しているそうです。1日150件以上だそうです。東須磨小学校に電話がつながらない時には周辺の小学校にも苦情の電話がかかっている状況らしく、中には脅迫電話もあるそうです。こんなバカたちは日本にたくさんいるのですが、社会で叩かれている小学校にさらに苦情を申し立ててイジメる人たち。加害教員らと同じいじめをしていることにきづくべきです!

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