憲法の改正国民投票法が成立したというYahoo!ニュースをみると、とある女性弁護士のコメントが出ていた。
これが弁護士が描いたコメントなのかとあきれたが、「参考になった」の数が1990と多いのには驚いた。
今回の国民投票法改正は、憲法改正に向けた下準備ともいえるものです。私個人としては、そもそも、憲法改正の下準備をする前に、憲法改正についての議論自体がまだ足りていないのではないか、と思わざるを得ません。
憲法は、全ての権力・法律を憲法の下に置き、(最高法規性)、憲法に反する政治はできないとすることで、国家権力を統制し、国民の自由と権利を守るものです。
そのように憲法をいそいそと変えてしまって良いのか。もっと議論を尽くすべきではないかと思います。
なお、コロナ禍の今、改憲に向けた下準備よりも、コロナ対策に力を注ぐべきでは、というのも一般的な国民感情ではないかと思います。
護憲派のいう理論と同じだ。
日本国憲法は、第二次世界大戦で日本が敗北した後、アメリカの統治下において作られたものであることは誰もが知っている。
日本人が日本人のために日本人だけの力で作ったものでないことは明らかだ。
自国の憲法を自国民の力だけで作れなかったのである。
そして日本国憲法は、その改正手続きについて、
衆議院と参議院の全ての議員の3分の2以上の賛成があって初めて発議し、更に国民の過半数の賛成が必要
と、日本人が勝手に、簡単に変えられないように厳しい条件を付けているのだ。
アメリカやフランスは20回以上、ドイツに至っては50回以上も憲法改正が行われている。
日本国憲法が作られて70年以上が経ったが、かつて一度たりとも改正の発議すらされたことがないのである。
日本国憲法は世界一長寿だと言われている。
その理由は憲法改正手続きの困難さにある。
”憲法改正の下準備”であることは間違いないのだが、今の状況では発議される可能性すらほとんどない。
”議論が尽くされてない”というのは改正反対派がよく使うセリフだが、私が憲法改正についての議論を聞くようになってから少なくとも40年は経過しているだろう。
憲法改正議論は何年間やれば、どのようにやれば議論が尽くされたと言えるのだろうか?
議論が尽くされたかどうかは主観的なものでしかないように思う。
日本国憲法が権力を拘束していることは間違いない。しかし国民の権利や自由も緩くではあるが拘束されている。
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
など、「公共の福祉に反しない限り」という言葉が使われている。
この言葉はよく耳にするが、”国民の自由と権利も制限が全くないわけではないですよ”ということなのですから、国民の権利や自由についても一定程度の拘束されている。
改憲反対派はそんなことは言わない。
”いそいそと変えてしまっていいのか”と言う言葉にはあきれる。
「いそいそと」の意味は、
心が浮き立ち、喜び勇むさま。うれしいことなどがあって動作がはずむさま。
と書かれている。
この女は何でも英語が堪能で学歴も優秀らしいのだが…
氏名 森 詩絵里 (もり しえり)
生年月日 1989年3月29日生(32歳)
出身 茨城県ひたちなか市
学歴 早稲田大学法学部卒、早稲田大学法科大学院卒業
所属 東京弁護士会 浅井企画
間違って「いそいそと」を使ってしまったのか、いやそうではないだろう。
改正国民投票法が成立して喜んでいるだろう自民党を揶揄したのだろう。
美人でかわいい女性であることは間違いないだろうが、それだけにこのいやらしい表現には腹が立つ。
高齢者が現代社会の流れについていけないのと同じように日本国憲法も明らかに時代遅れと言っていい。
自衛隊の問題や、基本的人権の問題、緊急事態条項の問題など現代社会にはそぐわない憲法であることは明らかなのに、護憲派は憲法改正したら戦争が起きるなどと意味不明の論理で反対する。
戦争は誰も反対であるから戦争ができなくなる条文は残しつつ世界からバカにされないような憲法に改正すべきであり、その点を議論してほしい。
森弁護士は浅井企画に所属するタレントでもあるらしい。
浅井企画といえば、萩本欽一らが所属する伝統あるプロダクションだが、何を目指しているのだろう。
最後に、コロナ対策は重要だが、憲法改正論議はもっと重要であるはず。