~出してはいけない!~
小学校の頃、ある朝起きたらテレビ番組はすべてが”よど号ハイジャック事件”のニュース。
当時、飛行機に乗ってみたいと願う子供たちが目の当たりにした恐怖!
赤軍派というテロ組織によって飛行機が乗っ取られたという事件。
子どもたちの記憶の中には、「よど号」「ハイジャック」「赤軍派」の文字が強く刻まれた。
「何でこんな悪いことするの?」
子どもたちは親に尋ねた。
その2年後、軽井沢にある”あさま山荘”で赤軍派が人質をとって立てこもった事件。
テレビをつけると今度はこの事件ばかり報道され続けた。
「また赤軍派?!」
この2つの事件は当時の子供たちにとって衝撃的な事件だった。
街で極左の指名手配犯人のポスターを見ると、全員が赤軍派だと思っていた。
そして今、赤軍派の大ボスである重信房子(76)が刑務所を出所するというニュースを「出してはいけない」と思いながら見てきた。
車を降りて重信は、支援者に挨拶をした。
支援者は今でもいるのだ。
弁護士や医師、大学教授そして国会議員まで支援者がいると言われている。
~反省はない!~
1974年にオランダ・ハーグの仏大統領を占拠した「ハーグ事件」で殺人未遂などの罪に問われ、懲役20年の判決を受けて服役していた重信房子・元日本赤軍最高幹部(76)が28日朝、東京都昭島市の東西日本成人矯正医療センターから刑期を終えて出所し、10分間弱にわたって報道各社の取材に応じた。
服役中に4回の手術を受け、体調は現在も思わしくないという。「生きて出てきたなあという感じが強くある」とした上で、今後については「新しい道で、好奇心を持ってもっともっと生きていきたい」「治療と学習。すぐに病院を選んで入院しながらリハビリをしたい。体力を回復できれば、また皆さんに会えると思う」などと話した。
一方、日本赤軍による一連の事件について「半世紀前にはなったが、人質をとるなど、自分たちの戦闘を第一にしたことによって見ず知らずの人に被害を与えたことがあった。古い時代とはいえ、この機会におわびする。そのことを自分の出発点として捉えていきたい」と述べ、頭を下げた。
散々、自分勝手な考えで暴力による革命によって日本を転覆することを考えながら国外逃亡を続けてきた重信。
20年前に逮捕された時、手錠をかけられた手で親指を立て、ガッツポーズをしたあの姿を見たとき、「全く反省してない」と日本中が思った。
そして、裁判では無期懲役を求刑され、無罪を主張して判決は懲役20年となった。
裁判官も
「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命、身体への危険を意に介さない身勝手な犯行であり、真摯な反省が見られない」
とまで言っている。
さらに控訴、上訴までして、全く反省していないのである。
~次に何を?!~
重信は、服役中にはがん治療で4回も手術を受けるなど、多額な医療費を、迷惑をかけた国民の税金で賄い、日本国から命まで助けられたのだ。
重信は、”日本の警察は私がやった事件のうちほんの一部だけしか起訴できてないのか”と心の中で笑ったに違いない。
捜査機関に認知され、捜査機関が立件できると判断した事件だけで裁判は行われたのだろう。
捜査機関が立件困難と判断された事件や”総括”といって仲間をリンチして殺した事件などもあったはずだ。
そんな奴が「おわびする」と言葉だけで謝罪して娑婆に出てくる。
いまでも逃亡を続けている赤軍派の仲間はたくさんいるのだ。
そして支援者もたくさんいる。
日本国民の税金で病気治療を行い、元気になった重信は次に何をするだろうか?
このまま普通の国民として生きていくことも許されないが、
「私が自分が『テロリスト」と考えたことはありません」
と平然と語っていたこの女はあれだけのことをしてテロリストではないと言っているのだから、次にどんな事件を起こすのかと本当に不安になる。
~ガッツポーズの意味?!~
重信元幹部は逮捕後の2001年に日本赤軍の解散を表明しているが、警察当局は「テロ組織」として存続している可能性があるとみている。重信元幹部はこの日、「警察情報だけをうのみにしないでほしい。テロリストと言われる人がいれば、なぜその人がテロリストと言われるのか、(警察などの)言っている人の意図をよく読みとっていただきたい」と主張した。
この女がテロリストでなければ誰がテロリストなのか。
「警察の言うことを信じるな」と言っているのである。
20年間の刑務所暮らしで自分の罪を悔い、反省したということは無かったのだろう。
そして今、支援者に向かって挨拶をした。
生きて出てきたぞ!日本は私を死刑にできなかった!
逮捕当時のガッツポーズの意味はこれだったのかもしれない。