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杉田水脈がLGBT生産性がない発言で炎上?全文内容あり!新潮45にも批判殺到?

~「新潮45」がバッシング~

杉田水脈衆院議員の「『LGBT支援』の度が過ぎる」という記事を掲載した雑誌「新潮45」が、杉田議員の記事に対するバッシングに対抗して、「そんなにおかしいか杉田水脈論文」と題して杉田議員擁護の特集を組みました。その結果、今度は「新潮45」がバッシングを受けることとなりました。

杉田議員が最初に「新潮45」8月号で「LGBTは子供を作らない、つまり『生産性』がない」と記載した部分を捉えて色々な著名人が、杉田バッシングを始めました。その批判を始めたのは、自らが同性愛者であることをカミングアウトした東京大学教授のロバート・キャンベルを筆頭に、経済評論家の勝間和代たちです。自分自身がゲイやレズの人間が杉田議員を批判するのは滑稽です。

~杉田議員の元記事~

杉田議員の記事を知らない人のために、元記事を要約したものを記載します。

・どれだけのLGBTに関する報道がされてきたか?朝日新聞の影響力は大きい。

・キリスト教やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたが、日本ではLGBTだからと言ってそんなに差別されていない。

・日本のマスメディアは、欧米がこうだから日本もこうあるべきだという論調が目立つ。

・親は、自分の子供が同性愛者だと分かるとすごいショックを受けるため、両親が受け入れてくれるかどうかこそが生きづらさにかかわっているのであって、制度で解消できない。

・朝日や毎日などのリベラルなメディアは、生きづらいことを社会制度のせいにするが、そもそも世の中は生きづらく理不尽なもの。

・子育て支援や子供ができないカップルのためにお金を使うのならば少子化対策という大義名分がある。

・生きづらさを解消するために行政が動くということは税金を使うということ。

・「生産性のない」LGBTのカップルのために税金を投入することがいいのか?

・LGBとT(トランスジェンダー)を一緒にするな、Tは、性同一性障害という障害で、LGBは、性的嗜好の話なのだ。

・多様性を受け入れて様々な性的嗜好を認めろということになれば、兄弟婚や親子婚なども認めろということになり、海外ではそのようなことが出てきて、どんどん例外を認めろということになれば歯止めが利かなくなる。

・「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなりいずれ崩壊していく。

~LGBは性的嗜好~

LGBTとは…

L=レズ=同性にしか性的欲求を持てない女性、G=ゲイ=同性にしか性的欲求を持てない男性、B=バイセクシュアル=同性でも異性でも性的欲求を持つ人なのです。T=トランスジェンダー=心と体の性が一致しない人つまり、自分が男性か女性か分からない人

です。

杉田議員は…

 Tは、障がい者です。LGBは、性的欲求を男女どちらの異性に持つかということであり、性的嗜好の問題なのですから、LGBに対して、国や地方公共団体が、法律を作ったり条例を作ったりして保護すること、つまり「議会や議員で討議するような無駄な税金は使う必要はない。性的嗜好の話であるLGBは子供も産めない、つまり「生産性のない」男同士や女同士のカップルに無駄な行政の力を注ぐ必要はない。」

と言っているのです。

これが間違いだと、批判する人たちはたくさんいます。そのほとんどは、自身がLGBの人たち若しくは、LGBTの市民権を獲得しようとしている団体の構成員などです。「LGBが市民権を持たない日本は欧米に比べて遅れている」というのです。日本が遅れているのか欧米が異常なのかは考え方次第だと思います。

この杉田議員の発言を発端に、自民党本部前でデモが行われ、発言に対する抗議と杉田議員に対する議員辞職を求めたのです。議員辞職をする必要があるのでしょうか?議員が自由な発言もできないのであれば、日本は「自由な国」と言えるのでしょうか?杉田議員を擁護しているのでないのです。個人が自由な発言ができるはずの日本で、各界の著名人が「こんな発言は議員として失格」というレッテルを張り、「杉田の発言は絶対に許せないとする言論弾圧」に対して、「これでいいのか日本の言論社会」という思いで、杉田バッシングを批判しているのです。

~「性的マイノリティ」はLGBTだけではない!~

この批判を受けて、杉田議員の論文を掲載した「新潮45」が批判を浴びているのですが、その中で、評論家の小川榮太郎氏が…

 LGBTは、性的嗜好であり、(要約)その権利を求めるなら「満員電車に乗った女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう置換症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不能な脳由来の症状だということを意味する」「彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか」

と言っていることに、「犯罪とは違う」と批判している方がおられますが、犯罪以前の問題なのです。

その人の性的思考による行為が、法律によっては犯罪となる場合もあるのです。いわゆるロリコン、つまり、幼児にしか性的欲求を見いだせない人、公然わいせつを繰り返し行う、他人に自分を性器を露出して見せて性的興奮を覚える人など、現代社会ではまさに犯罪です。しかし、これも性的嗜好の一つであり、性的マイノリティの人たちで、それを行う人たちにとっては「犯罪だからやってはいけないと思っていてもやめられないもの」なのです。この様な性的嗜好者を挙げればキリがありません。

痴漢行為が、刑法で犯罪であると定められたのは大昔のことです。大昔、LGBが表に出ることはほとんどと言っていいほどなかったのです。何故ならば、そういった性的嗜好の人たちは、そういった行為を世間の目から隠れて行っていたからです。ですから、LGBを犯罪として法律を作る必要性はなかったと考えられます。しかし昨年、刑法の強姦罪が改正されて、罪名が強制性交罪となりました。

これまでは、強姦罪の主体つまり、犯人となり得る人は男性だけに限られ、被害者は女性だけに限られていたのです。しかし、改正後、主体も被害者も男女どちらでもなり得る罪となったのです。お分かりでしょうか。現代社会においては、同性愛者が増えたのか、表に出るようになって、同性同士の性交犯罪が増えたために法律が改正されたのです。

犯罪行為である痴漢とLGBTを一緒にするなと言って「新潮45」の記事を批判する人たちがいます。しかし、現代社会でもムスリムの国では、同性愛者の性行為を犯罪と認め、死刑になる国だってあるのです。日本でも、古き時代からLGBの人たちがもっと早く表に出ていれば、犯罪になった可能性だってあるのです。

~杉田水脈の記事に反論する性的マイノリティたち~

しかし、欧米などに感化されてきた日本はLGBの人たちを気持ち悪いけど、見て見ぬふりをしようとする人たちが増えてきました。今回の様にLGBを批判すれば「お前たちは遅れている」などとバッシングを受ける可能性があり、それを恐れて皆が見て見ぬふりをしているのです。逆にLGBの人たちも、LGBであることを恥ずかしく思って、カミングアウトできない方々もたくさんいるのです。

今回、杉田水脈の論文が出て、これを批判するためにゲイであることをカミングアウトしたロバート・キャンベルは60歳を過ぎています。60歳を過ぎてからのカミングアウトでしたが、ゲイが恥ずかしくないと思っているのであれば、もっと早く、若いうちにカミングアウトするべきでしょう。それを60歳過ぎて、羞恥心が薄らいできた後のカミングアウトとは理解ができません。

勝間和代だって、もうすぐ50歳です。過去には男性と結婚して2人の子供がいます。最近になって女性と一緒に生活を始め、レズであることをカミングアウトしたのですが、次の選択肢は男性なのか?女性なのか?バイセクシュアルですね。これって、自分が好きな人であれば男性女性関係なしってことですよね。じゃあ、子供さん達のショックを考えてあげるのであれば、普通に男で良かったんじゃないですか?結局、自分のわがままを貫いただけの話ですよね。

~LGBを保護する必要は全くない!~

話が飛んでしまいましたが、私自身、LGBを保護する必要は全くないと思っており、現代社会でLGBをカミングアウトして女装したり男装したり、同性同士で手をつないで歩いたって、それに文句を言う人もおらず、石を投げられることもないはずです。ただ、同性愛者が乗り越えなければならないのは、カミングアウトした時に、どうやって両親や兄弟などの家族から許しを請うのか、LGBの人にとって一番難しく、重要な部分だと思います。

多分、LGBの人にとって、世間の目なんてあまり関係ないのではないでしょうか。静かに同性愛を楽しんでいただければよいと思います。ただ、LGBを保護するために、要らぬ法案を国会で審議したりするような無駄なことは避けて欲しいと思っています。杉田水脈も同様のことを書いているのだと思います。

~杉田水脈批判は「言論弾圧」~

LGBT擁護論を展開する人たちは、「LGBTの権利を保護しないことは時代遅れ」と断じているのです。それは、人それぞれの考え方ですから自由に意見を持ち、述べるべきだと思います。一方で、日本にはLGBT反対論者も多数いることも事実です。杉田議員が「新潮45」で書いた記事では、「LGBTは生産性がない」という部分だけを切り売りして批判する人たちや、議員を辞めろという人たちがたくさんいるのです。議員だから「言ってはいけないことがある」と言わんばかりの主張です。議員も「言論の自由」という権利の下、言論によって活動する人たちです。議員が行ったことは許せないという人たちが「議員をやめろ」というのは、明らかな言論弾圧です。

今回の「新潮45」の「そんなにおかしいか杉田水脈論文」はそういう意図の下に出版されたのではないかと思っています。立場に限らず、色々な意見や考え方があるのです。自分たちの言うことが絶対的に正しいという論調は聞く気にはなれませんし、説得力も感じ取れないと考えます。これだけの炎上騒ぎとなった杉田議員ですが、杉田議員の所属する自民党もこの件を受けて「注意した」だけにとどめています。政党も人気商売ですから、多数から批判されるような発言は慎むようにというレベルなのでしょう。日本は言論において、もっと自由な国家になるべきです。

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