事件

滋賀県警彦根警察署の警察官射殺事件はなぜ起きた?大西智博に懲役22年!

~怒られることが仕事!~

滋賀県彦根警察署警察官射殺事件は、警察官が拳銃で同僚警察官を殺した過去に前例がない事件である。

以前警察官として働いていた経験がある友人から話を聞いた。

友人は、「ここまで来たか」と言っていました。

友人は、昭和の時代に警察官を拝命し、警察学校を卒業して交番勤務となった。

警察学校では教官から”布団の畳み方”や”掃除の仕方””服装の乱”れについて度々叱責され、バツとしてグラウンド20周走や大きなタイヤを引っぱって走らされたそうだ。

真夏のグラウンドを機動隊員と同じ装備(上半身に鉄板を巻き、ヘルメット)を着装して何週も走らされたそうだ。

卒業後、新任警察官として交番に配属されると、警察学校で勉強してきたことはほとんど役に立たず、何もわからないまま先輩に叱られた。

優しい先輩もいれば怖い先輩もいて、優しい先輩についた友人は、「自分は良かったが怖い先輩に就いた同期の者は悲惨だった」と話しました。

毎日のように罵声が飛び、側にいた人達も自分が怒られているかのようだった。

警察学校の教官や、上司からは「若いうちは怒られるのが仕事」と言い聞かされていたと言います。

しかし、先輩からの罵声には新任警察官でも腹の立つことは多く、若い者同士で集まっては先輩の悪口を言うなどしてストレスを発散させていた。

当時の若い警察官はこのようにして今でいうパワハラに耐えていたのだろう。

~新人類~

友人が警察官になった数年後に、新任として警察官になった若い人達は、「新人類」と呼ばれるようになり、ベテランが発する常套句でもある「今頃の若い者は・・・」という言葉が頻繁に聞かれるほど、その当時の若い警察官は、モノの考え方がそれまでの警察官とは違うといった意味で捉えられていたそうです。

友人の目から見ても「辛抱が足りない」「不機嫌さを平気で顔に出す」「先輩を先輩とも思わない言動」といったものが目立つ若い人が増えてきていたように思ったとのこと。

今の若い人達はその後に生まれてきた人達ですが、”新人類の後は何と呼べば良いのか”と言っていました。

~免疫力のない若者たち!~

昭和の頃には普通にあった女性に対する”下ネタ発言”や後輩の仕事のミスなどに対して怒鳴るなどの行為は、10年くらい前から”セクハラ”や”パワハラ”などとして社会的には禁じられる行為となった。

昭和の時代は、学校で悪い行為をして教師から叩かれる等ということは当たり前に行われていたし、クラブ活動でも失敗すれば教師に怒鳴られ、叩かれることもしばしばああった。

しかし、”ハラスメント”という言葉が一般化した時代を生きている最近の若者たちは体罰もない、また他人から怒鳴られることもほとんどないのです。

上司から、先輩から怒鳴られることなどに慣れておらず、免疫力のない若者たちが社会人となっています。

最近の警察でも上司から厳しく怒鳴られてパワハラを受けて若くして辞職していく警察官が後を絶たず、公務員である警察官を志望する若者も少なく、全国的に若い警察官の応募は少ないと言います。

各県警はリクルート活動を活発化し、警察の良い点だけをアピールし、新人警察官の獲得に躍起になっているそうですが、実際に若い警察官に対するパワハラが横行している警察を志望する若者は増えないでしょう。

パワハラを受けている若手警察官たちが友人や知人に警察の実態を伝えているそうですから警察官を志望する若者が減っていくのは仕方がないことなのでしょう。

警察組織は、「若い警察官が、日常生活の中で、警察官以外の友人や知人に警察の実態を明らかにしていること」を認識しながら、なぜ警察官に応募する若者が減っている理由について考えていくべきでしょう。

~まじめな少年だった?!~

4月11日、滋賀県警彦根警察署河瀬駅前交番で勤務する19歳の大西智博巡査が上司の井本光(ひかる)巡査部長(41)を射殺した事件が発生しました。

ニュースでは、巡査が所持する拳銃で巡査部長の後頭部を撃って即死させ、即死の後、背中にも一発発射したとのことです。

この少年を知る人達は、「まじめな性格で怒ったところを見たことがない」などと話しているそうです。

逮捕された巡査は、「罵倒されたので撃った」と容疑を認め、「躊躇せずに撃った」とまで供述しているそうです。

罵倒されれば人間腹が立ち罵倒した相手を恨むことはあるでしょう。

裁判の経過で、井本巡査部長から

「お前がアホなのは親がアホやから」

と言われたと話しているそうです。

いくら上司といえども本当にこんな言葉を言ったとしたならば、大西巡査にとっては許せなかったというのは理解できます。

ただし、殺すということはあり得ません。

~狂っていた?!~

巡査部長は「アホ」「ボケ」が口癖だったそうで、書類作成にはうるさく、何度も訂正を求められていたそうです。

大西巡査は、巡査部長を殺した後、パトカーで逃走したのですが、19歳では、まだパトカーの運転はできないはずだそうです。

そしてコンビニに立ち寄り、タバコ2箱とライターを購入し、事故を起こしてパトカーをパンクさせて乗り捨て、その後制服を脱いで拳銃や警棒などを田んぼに捨てて歩いているところを発見されたそうです。

怒鳴られたり、罵倒されたりすることに対する免疫力が無かったというだけでは説明がつかない。

完全に狂っていたとしか言いようがありません。

大西巡査は懲役22年の判決を受け服役中とのことです。

-事件